○山内秀一さん (京の現代の名工) 京都府美山町

 私がこの世界に入り、まずこの親方に習いました。
  入った半年ほどは、全く相手にしてもらえませんでした。なぜなら、都会から来た若僧、
すぐにやめるだろう、と思われていたようです。しかし、一年目の猛暑をのりきったあたりから、
「なかなか根性があるやないか。それならワシも教えたろう。」といって、
少し認めてもらえました。
  入門当初私は独身で、原付バイクしか持っておりませんでした。毎朝親方の家に行き、
親方の車の運転主をして一緒に現場に行きました。親方も奥様に先立たれ、お一人でしたので、
現場からの帰りは、二人でスーパーに晩御飯の買い物に行ったのが良い思い出です。
  「教えたろう」と言っても、手取り足取り教えてはくれません。親方の機嫌が悪い。どうも
間違ったことをしているな。と、こちらが察してなおしました。「見習い」は見て習わなければ
なりません。ある日突然重要な場所をやれと言われます。
  親方のクシャミの仕方、立ち小便の仕方、まで真似しました。
  親方は、ご自分が弟子入りした15歳の時から毎日どこに仕事に行ったか帳面につけて
おられます。昭和51年の記録をみると、「315日」働いたと記録されています。この記録は
未だに私もやぶることができません。
  親方は、現役を退いた今でも、私の現場に時々足を運んでくださり、激励してくださいます。

○鈴木重夫さん  茨城県

「段葺き」という7色の軒や、水、龍、寿といった文字の入った棟飾りが特徴的です。外国には
ない、日本が誇る技術だと思います。縁あって鈴木さんの門戸をたたき、教えていただくことが
できました。
  鈴木さんは、温厚な方で、確実に仕事をこなしていかれる方です。
また、ご年配の職人さんですが、私のように若い人や、一般の方ともわかりやすく
説明してくれます。そのことが不思議でしたが、聞いてみると、高度成長期に、副業で、
観葉植物の行商をされていたそうなのです。だから、どんな方でも穏やかにわかりやすくお話が
できるのでした。今でも植木屋さんの副業を持たれています。
  鈴木さんが職人になられたころは、ひとつの村に、40人ほどの職人がいたそうです。
非常に競争も激しく、兄弟子達に仕事を習うのですが、競争相手に仕事を教えてはくれません。
休憩や、お昼休みに屋根から下りる時でも、兄弟子たちは、自分達のやった急所を、他人に
見られないように、ムシロをかけて隠したそうです。
鈴木さんは、こっそりとそのムシロをめくり、技術を盗んだそうです。また、そうやって覚えた
技術は、本当に自分のものになる、と鈴木さんは語っておられました。